大須は萌えているか?

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九州縦断ツアー再び その4:佐多岬と鹿屋航空基地

※この記事は九州縦断ツアー再び その3:長崎造船所と熊本城の続きです。

鹿児島で1泊して旅行4日目、最終日となります。帰路も福岡空港から飛行機に乗って帰る形ですが、夜の便なので鹿児島をぶらっとする時間はある感じ。指宿方面に向かって、前回行きそびれた知覧の特攻平和会館とか見物するのもアリかなー、とも思ったんですが、ようやく雨が止んで晴れてくれたので、思わず九州最南端の佐多岬まで来てしまったのでした。

佐多岬

佐多岬は学生の頃に一度来ているハズなんですが、なぜかほぼ全く印象に残ってないんですよね。なので、せっかく天気も良いコトだし行ってみるか……というのがひとつと、あと昨年のGWには宗谷岬に行ったので、じゃあ今年は佐多岬だべ、という安直な思いつきをしてしまったが故です。

鹿児島市街から佐多岬へ行くには、桜島フェリーを使って桜島の麓を経由して行くのが一番近そうではあるんですが、GWのフェリーがどれくらい混むものなのかが分からなかったので、今回は高速を使って湾をぐるりと回っていくルートを取りました。思わぬ時間のロスがあると、福岡まで戻る時間にどんどん余裕が無くなるので……。

GW中の混雑回避のためか、自家用車は岬すこし手前の駐車場に駐めさせられて、そこからシャトルバスに乗るパーク&ライド方式になってました。そこからバスで5分ほど走ったところで降ろされ、

岬の突端方面へ向かうためにはさらに歩いてトンネルをくぐり(昔はこのトンネル通るのにもお金取られた気がするけど今はフリーだった)、

山の中を15分くらい歩いて行く必要があります。

途中から、歩道がめっちゃキレイに整備されててびっくり。もっとボロい感じ(失礼)の場所だった気もするんじゃが……。

どうもこの遊歩道や展望台、つい最近整備されたばかりのものみたいで。昔は民間企業が佐多岬の一帯を所有してて、展望台とかが廃墟化していったんですよね、確か。

佐多岬先端部は2012年10月29日まで一帯を管理していた岩崎産業が運営する佐多岬展望公園として入園料を徴収していたが、10月30日付で譲渡され南大隅町の所有となり、無料で入園できるようになった。

via: 佐多岬 - Wikipedia

そして展望台到着。真新しい。

そして展望台の上からの景色、こりゃ絶景。灯台があるのは島なんですね、コレ。

薩摩半島方面に目を向けると、開聞岳も見えました。

これだけの絶景ならば、昔行ったときの記憶ももうちょっと残ってても良さそうなもんですが……天気がイマイチだったりしたからかなあ……。一番遠くが見通せるときだと、種子島屋久島も見えるみたいなんですが、この日はそこまでは見えず。昨日まで雨を降らせていた低気圧の影響で、めっちゃ風が強くて写真撮ってて少々怖かったです。

展望台に向かう道から分岐している道を辿ると、灯台守の官舎跡地なんてのがあったので寄ってみました。

設置されていた案内看板によると、昔はあの灯台のある島までゴンドラを渡して通っていたらしい……コワイ。

なんか突端方面へ向かう道もあったんですが、立ち入り禁止。しかし、どう見てもものすごい獣道だよなあ、この先。

 

帰り道、なぜか道中にある神社の参道を通る。この南国めいた景色の中にそびえ立つ鳥居がなんともミスマッチ。

鳥居をくぐると、ソテツがとんでもない形で参道を横切っており、なんともフリーダム。

ソテツは邪魔だったものの、他は概ね再整備されていたおかげもあってか、見晴らしも良く非常に良い場所でした、佐多岬

鹿屋へ

佐多岬を見物したあとは、この九州最南端から一気に福岡まで突っ走る……前に、せっかくなので鹿屋にある海上自衛隊の航空基地に寄ってみるコトに。史料館が併設されており、過去に使用された航空機なども展示されているみたいだったので。(しかし、なんで各地方の自衛隊WEBサイトって90年代の手作りホームページ感満載なんだろう……)

で、鹿屋基地のすぐそばまで来たときに、「桜花の碑」という看板が出ていたのでちょっと気になって寄ってみました。

あー、やっぱ特攻兵器の「桜花」でしたか……。この場所は出撃前の特攻隊員たちが水杯を交わした場所とのこと。碑の題字は作家の山岡荘八

碑から道路を挟んだ反対側には国民学校があり、そこを神雷部隊(「桜花」の訓練・実戦部隊)の宿舎としてたそうで。今はまったく面影ありませんけど、当時使われていたという国旗掲揚台が残されていました。

こうした特攻に関する歴史的評価を話題にするとすぐややこしい議論になってしまうのでアレなんですが、特攻隊員の人たちがどういう思いでここから出撃していったのかというのは知っておきたいと思いますし、またそれがどういうものであれ、批難すべきものでは無いように思います。

ただ、軍が主導して特攻という作戦を若い兵士に命じて行ったという歴史は決して美談にしてはイカンと思いますし、往々にしてそこがごっちゃになるから話がややしくなるんですよね。他人を扇動して死地に向かわせる者に限って、その当人は安全なところでふんぞり返ってるものだ……とヤン・ウェンリーみたいなコトを考えたくなったりして。

鹿屋航空基地史料館

「桜花の碑」からもうちょいクルマで進み、鹿屋航空基地史料館に到着。駐車場は結構混み合っており、人気の程が窺えます。私が訪れた日の数日前には航空祭も開催されていたみたいなんですが、逆にそういうイベントにかち合わなくて良かった……。

屋外には様々な航空機が展示されているんですが、気になったのがこの錨。

裏のプレートを良く見ると、戦艦「比叡」の主錨だと……。

戦後、宇都宮基地に置かれていたものを持って来たみたいなんですが、そもそもなんで比叡の錨が宇都宮にあったのかもわからない……。比叡はガダルカナル島の近くで沈んでると思うんで、改装のときに外された錨が記念に保管されていたってこと?

あと、宮崎県の沖合で発見されたという「紫電改」の誉エンジンとか、

錦江湾の底引き網に引っかかったという「天山」のプロペラとか。ぐにゃぐにゃになってますけど。

館内には零戦52型丙の復元機体が展示してあり、コクピットを覗き込むコトも可能。子供たちがずっと覗き込んでいたけど。

零戦が展示されている2階フロアには特攻隊に関する展示もあるんですが、江田島の教育参考館の展示見てても思ったんですけど、特攻隊員個々人にフォーカスして見てみると、そこには様々な命を賭けた物語があり、そこだけ見るととても崇高なものを見ているように思えてくるんですよね。

それはそれで間違いではないんだけど、あくまで「それはそれ」なんですよね。本来人の生き死にに良いも悪いも無くて、その死に方について周りからアレコレと「崇高な物語」が用意されなきゃいかんコト自体がおかしいんじゃないですかね。

それはさておき、鹿屋で一番見たかったものといえばこちら。

世界で唯一現存しているという二式大艇ちゃん。でかい。しかし大艇ちゃん、ずんぐりむっくりなイメージがあったんですけど、実は胴体はすごく細身なんですね。真後ろから見たら、めちゃくちゃスマートでビックリ。

少し離れた場所に展示してある、戦後に開発された飛行艇「おおとり」のが太って見える。

一通り見物したあとは、せっかくなので売店に併設されていた食堂でカレー食べました。建物の入り口入ってすぐのところに、百田尚樹のコメントが写真付きで掲示されていたのがちょっとアレでしたが。

プレートにヤクルトが付いてきて、思わず『ひそねとまそたん』を思い出してしまいました。一体どこまで日本の国防に食い込んでいるんだヤクルト(?)。

その後は福岡まで高速をかっとび、無事ほぼ定刻通りにレンタカーを返却・空港に到着するコトができました。にしても、旅行もあんまり日程長くすると予算がアレだし疲れも溜まるんで、3泊4日程度を上限としているんですけど、佐多岬から一気に福岡まで戻るというスケジュールはちょっとせわしなかったな……。

にしても、前回九州来たときも今回も、宮崎・大分あたりはほぼ無視してしまっているので、今度機会があったらそこら辺攻めてみるのも面白いかもしれません。池島や天草もまた行きたいけどね。

おまけ

福岡空港は結構混雑しており、ちょっと晩飯食べる余裕は無さそうだなーと思ってそのまま保安検査場をくぐったところ、搭乗口近くにラーメン屋(一蘭)があってビビった。さすが福岡。

でも、福岡の地元民は一蘭は認めないんだっけ??