大須は萌えているか?

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意識的に情報を遮断していかないと、頭の中になにも残らない気がしてきた

また最近はF1以外でブログを更新することが極めてまれになっているので、たまにはF1以外の話を書いていきたいと思います。台風が近づいてて家にいるしかないし。

しばらく前に、『News Diet』という本を読んでみたんですけども。

本の内容的には、タイトルにある通りニュースを読む習慣をやめろ、という主張を様々な角度から投げつけてくる本なんですけど、個人的にわりと考えさせられる内容でした。というのも、この主張が自分がかねてから感じていた問題意識にリンクするところがあったからなんですよね。

その問題意識っていうのは何かって言うと、日々あれこれ情報やコンテンツを摂取してはいるものの、記憶に残っているものがあまりに少ないのではないか、っていうコトなんですけども。まあもともと記憶力は悪いほうですし、そこにさらに加齢がブーストを掛けている可能性も否定はできないんですが、これ日々の生活態度にも問題があるのかなー、なんてコトを感じたりもしていまして。

20代の頃に初めてパソコンを買ってインターネットというものに触れて以来、ネットでいろんな情報を収集するということを当たり前のようにしてきましたし、RSSリーダーっていうものを知ってからはそこに雑多なフィードを登録して日々追いかける、というコトを習慣にしてきたんですが、結局そこで追いかけている情報ってあんまし頭に残っていないんですよね。

あなたがこの一年でむさぼり読んだニュースは、およそ二万本にのぼるだろう。控えめに見積もっても、一日あたり約六〇本は読んだことになる。
正直に答えてほしい。そのなかに、あなたが自分の人生や家族や、キャリアや健康やビジネスに関して、よりよい決断を下すのに役立ったニュースはあっただろうか。そのニュースを読んでいなかったら、下せていなかったと思える決断はあるだろうか。私がこの質問をした人のうち、二本以上のニュースを挙げられた人は誰もいなかった。年に二万本ものニュースを読んでいるというのに、である。なんという関連性の薄さだろう!

via: ロルフ・ドベリ. News Diet (Japanese Edition) (p.57). Kindle 版.

確かに……。もちろん、すべて役に立っていないかというとそんなコトはないんですが、役に立っている情報というのは、だいたい自分から能動的に調べていって探し当てた情報だったりはします。ニュースフィードやSNSなんかでたまたま目にした情報が後々まで役に立った、ということは確かにほとんどない気がする。そもそも、記憶に残らないんだから役にも立たないのは当然なんですが。

記憶に残らない、という意味ではニュースだけじゃなくて、日々観ているアニメだとかテレビ番組なんかも同じなんですよね。たとえば去年観ていたアニメシリーズってなにがあったっけ?と思い返そうとしても、すらっと出てこないワケです。結局、内容がぜんぜん記憶に残っていない。見返すと思い出したりはするんですが。

なんでこうなってしまうかと考えたときに、日々流れてくる情報やコンテンツの量が多すぎて、個々の情報やコンテンツに全然向き合ってないからかな、と思うんですよね。物事を記憶に残そうとしたときに、一回さらっとなぞっただけでは全然ダメで、反復することが大事というのは耳にします。最近Audibleで聴いていた記憶力に関する本でも、復習の重要性が説かれていたりしましたね。

結局、あれも見ようこれも見ようといろいろ手を出した結果、あとに何も残らない状態になっている感じがします。摂取した情報をちゃんと記憶に残していこうと思うなら、意識的に摂取する情報を絞ったほうが良いんだろな、というのを感じてはいるんですね。んで、この『News Diet』という本を読むと、実は日々報じられているニュースなんかもいちいち追いかけたりしないほうが良いのかもしれない、という気になります。実際問題、世間的に大きく報じられているニュースでも、自分の人生に影響があるコトなんてほとんどないですしね。

逆に、自分の人生(仕事や生活、趣味)に影響があるような情報は、気になった時点で自分から調べにいくでしょうし。もちろん、偶然目にした情報から新しい興味が湧くというコトも無きにしもあらずなんですが、その確率はかなり低い。SNS中毒になってしまう原因として、自分の投稿に対して他者からの反応がランダムに返ってくるところがガチャやスロットマシンと同じ構造になっているからだ、という指摘を目にすることがありますが、雑多な情報の中から「当たり」を拾えたときの感覚というのもこれに近いのかもしれない。

『News Diet』の著者はあらゆる情報を摂取するな、とはもちろん言っていなくて、浅く広く情報を集めるのをやめろ、と言っているんですよね。自分の役に立つ情報を厳選し、深く読み込めと。

何より大事なのは、世界の複雑さを伝えられるだけの能力や情報源を持ち、事実をしり込みせずに伝えている雑誌や本を読むことだ。
私の場合、アメリカの『ザ・ニューヨーカー』誌、『MITテクノロジーレビュー』誌、『フォーリン・アフェアーズ』誌、そして『エコノミスト』紙の特集記事を読んでいる。主に専門家の寄稿論文をまとめた新聞や雑誌も大いに役に立つ。クラウトレポーター(ドイツ)、ディー・レプブリーク(スイス)、デ・コレスポンデント(オランダ・アメリカ)、シビル・コー(アメリカ)など、長文記事を掲載する新しい形のメディアもたくさんある。

世界はとにかく複雑だ。週に一冊は本を読もう。
もし二〇ページ読んでも世界に対するあなたの見識が広がったり変化したりしない本は、読むのをやめてもかまわない。反対に二ページごとに新たな認識をもたらしてくれる本を見つけたときは、最後まで読み通そう。
そして別の本をはさむことなく、つづけてもう一度読み返す。二度読んだときに得られる効果は、一度しか読まないときの倍どころではない。私の経験から言えば、効果はほぼ一〇倍にはね上がる。「二度読み」の効果の高さは、もちろん長文記事にも当てはまる。

via: ロルフ・ドベリ. News Diet (Japanese Edition) (p.45). Kindle 版.

まあほんとにね、一回読んだだけだと記憶に定着しないんですよね……。これは映画やアニメを観たときなんかでも同じで、一回さらっと観ただけだとホントに忘れるんですよね。昔観たアニメ作品だと、なぜかすごく記憶に残っていたりするものがありますが、それって当時何度も反復して観ていたからなんですよね。私が10代の頃なんかはサブスクなんて影も形もありませんでしたし、マルチチューナーのHDDレコーダーすらない時代(年齢がバレる)だったので、好きな作品をVHSで録画しては繰り返し観ていた記憶があります。

今の時代、若い世代で「倍速視聴」が当たり前になっている、といった話題も耳にしますが、実のところ私も結構前から似たようなコトはやっています。まだスマホが定着していない時から、PSPに動画を転送して1.5倍速で観てたりしましたし。ただ、これも正直記憶に定着しないですね。1.5倍速で観たら思いの外面白かったからもう一度見返した、とかすればだんだん記憶に残るようになるんですが。「面白い作品を探り当てるために最初は倍速で観まくって、気に入ったものをあとからじっくり見返す」だったら良いんですが、倍速視聴だけでずっと観るようになると、あとになにも残らない気がします。まあその時々の話題に付いていければそれでOK、という考え方ならそれで良いのかもしれませんが……。

サブスクやらなんやらが大量に溢れかえる時代になり、膨大な量のコンテンツが定額で観られる時代になっちゃったからこそ、意識的に摂取する情報やコンテンツの量を減らす必要性を感じます。そういう意味では、日々特に疑問も抱かずに眺めていたニュースフィードなんかは真っ先に切るべきなんでしょうねえ。特定分野(仕事に関することや自分の趣味の話題)なんかは追いかけるにしても、「総合的なニュース」というのは見るのやめるか……ということで、先日朝日新聞デジタルの課金はやめました。実は毎日新聞にもお金払ってるんだけど、こっちは年額で払っちゃってるからなあ……まあ次の更新で止めるか……。

アニメなんかも、新番組は「よほど続きが気になったもの以外は観ない」というスタンスにしていった結果、今期録画しているのは『リコリス・リコイル』だけになりました(なんでだ)。あ、あと『コードギアス』の再放送は観てます。程よく忘れているのでおもろい。

人間、年を重ねてくると時間の有限性というものも意識するようになってくるもので、「自分にとって意味のある情報」というものをちゃんと咀嚼していくようにしたいものです。とはいえ、ブラウザを開くとつい雑多な情報を見に行ってしまう癖は抜けきっていないのですが……(長年の生活習慣の賜物)。