※画像多め。このエントリは、かつての「酷道」421号は今の続きです。
沙沙貴神社
国道421号を通り滋賀県に入ったあとは、そのまま421号をずっと進み、八日市を過ぎたあたりで県道に入っていったところにある沙沙貴神社(ささきじんじゃ)へと。
神代に少彦名神を祀ったことに始まり、古代に沙沙貴山君が大彦命を祭り、景行天皇が志賀高穴穂宮遷都に際して大規模な社殿を造営させたと伝わる。 後にこの地に土着した宇多源氏によって宇多天皇とその皇子であり宇多源氏の祖である敦實親王が祭られ それ以降佐々木源氏の氏神とされ、子々孫々が篤く崇敬していた。
via: 沙沙貴神社 - Wikipedia
全国の佐々木さんのルーツがここにあるみたいなんですが、神社の名前が「佐々木」ではなく「沙沙貴」なのが厨二病心をくすぐります(?)。私がこの神社に興味を持ったのは、以前天河神社に行ったときに、この沙沙貴神社で映画『天河伝説殺人事件』のロケが行われたと知ったからなんですけどね。でも実は映画自体はテレビかなんかで一度見た記憶があるだけで、もうどんなシーンがあったかなんて全然覚えてないんですけどネ?
ただ、画像で見るにすごく雰囲気の良さそうな神社だったので、ちょっと行ってみたかったんですよ。そして実際に訪れてみると、ホントに良い雰囲気の神社でした。なにより、土曜だというのに人が全然居ないのがステキ。地元の子どもが遊んでたくらいで、観光客なんてたぶん私だけ。
入り口にある楼門、そして左右に広がる回廊、これだけ見ても立派な作り。
あちこちにある四角いマークは「四つ目結(七つ割り四つ目)」という佐々木氏の家紋だそうで。
それから舞台形式の拝殿。ああ、これは天河神社よりロケしやすそうだわ、なんて思ってしまいました。周囲に広い空間がありますしね。
それから本殿。なんか割と真新しい感じがする。
実際見てみると、ここで映画のロケがあったというのも納得できる話ではあります。でも、ここを「天河神社」としてロケしちゃうのってなかなかに大胆不敵な感じが。全国の佐々木さんから怒られたりしなかったんでしょうか(?)。
安土城址
沙沙貴神社を見物したあと、すぐそばに安土城址があることに気づき寄ってみるコトに。そういや一度も行ったコト無かったよなぁと。
沙沙貴神社から安土城址はクルマで10分もかからないくらいの距離。安土城「址」であるコトを考えると、無料で見物できるのかニャーという希望的観測があったのですが、駐車料金500円 + 拝観料500円が必要でした。さらに、城内にある総見寺の仮本堂(元々の本堂は焼失)を見たい場合はさらに500円プラスです。……やるじゃない。総見寺はまぁいいや、というコトで、合計1000円支払って城内へ。こちらはそこそこ人が居ました。
安土城は何が面白いって、入るといきなり広い道がどかーんとまっすぐ続いてるコト。ふつう、敵の侵入を防ぐために狭くて曲がりくねった作りにしそうなものですが、なんかもうウェルカム状態。
この通路左手に羽柴秀吉邸、右手に前田利家邸があったとされていますが、万一敵が攻めてきたときにはお前らがなんとかしろってコトなんでしょうか。
あとはここから織田信長が住んでいたとされる天主跡目がけて石段を登っていくんですが、この城かなりデカい。日頃運動不足に人間にはキツいです。途中、築城中石材の不足を補うために周辺の寺や墓から回収してきたという石仏もあったりします。プレート付きなのですぐにわかりますね。
とりあえずここ石段として人が歩く場所なんで、賽銭として小銭置いていくのはやめません??
そしてもうしばらく歩くと、二の丸跡と「織田信長公本廟」が。手前に門があり、それより奥は立ち入り禁止になってますけども。
そもそも本能寺の変で自害した信長の遺体は見つかってないらしいですが、ここには信長の遺品が埋められているんだとか。建立したのは秀吉らしい。
そして本丸跡を華麗にスルーして天主跡。中央の礎石だけ存在しないのがポイントらしいです。
それから天主跡から琵琶湖方面の眺め。こりゃ絶景。チョー天下布武ってカンジ。
ちなみに安土城が建てられた当時は、琵琶湖が城の三方を囲むような地形だったんだとか。昭和になり干拓され、こんな田園風景になったんですねぇ。
ちなみにこのあと、持ち歩いていたデジカメ(オリンパスE-P1)のシャッターが突然切れなくなるというトラブルが発生。信長さんに祟られたのかな。仕方ないのでその後はiPhoneで写真撮りました。ちなみにE-P1は家に帰ったらふつーにシャッター切れるようになってました。おのれ信長。
そして下山ルートには、総見寺の二王門と、
三重塔がありました。これらは焼失を免れた、築城当時からある建物なんだとか。
総見寺の本堂は焼失し、徳川家康邸があったとされる場所に仮本堂が建てられ現在に至ると。ググってみるとこのお寺、本尊が信長自身という記述を結構見かけるんですけどマジっすか。ルイス・フロイスの『日本史』にそんな記述があるとかないとか。さすがにそれは周囲もドン引かないですか。自分らのボスが「俺が神(仏?)だ」とか言い始めたら。まぁ「俺がガンダムだ」とか言うよりマシかも知れませんが。
それともそれくらいのカリスマが信長にあったってコトなんですかね。あるいは、信心深い民衆にはそういうパフォーマンスが有効だと考えただけで、信長自身は神とか仏とかどーでもよかったのかな。思わず『フロイス日本史』でも買って読んでみようかとも思ったんですが、文庫シリーズが1冊1200円するらしくて悩ましいです。図書館行けって話ですか。
完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3) (中公文庫) | |
クリエーター情報なし | |
中央公論新社 |
ちなみに総見寺って大須にも同じ名前の寺(非公開)がありますね。こちらは信長の次男、織田信雄が信長の菩提を弔うために安土の総見寺から名前を取ったんだとか。意外なところで大須との繋がりが……。
もうちっとだけ続く。