※画像多め。この記事は自宅警備隊西へ2013 : 岡山編の続きです。
岡山で一泊して、翌日は6時に起きて出発準備。前日一緒に飲んだ山崎氏(仮名)が「朝飯も一緒に」と言うので、松井氏(仮名)も呼んで近所で早朝唯一開いている店というすき家で牛丼食べました。私はすき家より吉野家派なので、すげー久しぶりにすき家で食べた。それはともかく、夜と朝に渡りお付き合いいただいた両氏にはこの場にてお礼を。また飲みましょう。
佛通寺
朝食後は山陽自動車道を西にクルマを走らせ、広島県三島市の佛通寺へと。なぜここへ来たかというと、そりゃ『たまゆら ~もあぐれっしぶ』6話で出てきたのを見てふと行ってみたくなったからです以上。瀬戸内風まかせツアー。ここ、山陽道の三原久井ICからわりと近いので寄りやすかったのです。
『たまゆら』で観たときから「雰囲気良さそうだなぁ」と思ってましたが、実際すごく良い雰囲気の場所。
枯山水の庭も見事なものです。
まだ朝早かったのでクルマで来ているのは私だけでしたが、ウォーキングで来ている人がちらほら居ましたね。あれはどこから歩いてきたのだろう。ここ、モミジなんかも多かったので紅葉の季節はきっとかなり良い景色でしょうねぇ。混みそうだけど。
竜王山
作中で「竜王山は三原に2つある」って言ってますが、三原市街の南にある方ですね。これ、作中ではタクシーでさらりと行ってますが、実のところクルマで行くとものすんごい細い道を結構長々と上っていくコトになり、場所によってはガードレールの無い崖ギリギリのところまで寄って対向車とすれ違わなくてはならなかったりして、結構というかかなり泣けます。しかも以外と対向車居るのよここ。
展望台すぐ近くの道はこんなん↓。対向車来たら、お互い草むらにクルマ突っ込まないとすれ違えません。かなり難易度高い道ですねぇ、ここ。
YouTubeに車載動画もありましたのでご参考まで。あまり買って間もないクルマで来る場所じゃ無かった……。
ともあれ展望台到着。
この日も雲がぜんぜん無い快晴で、そりゃ景色もすごい……と思ったら、なんか全体的に白く霞んでいるような。どうしてこうなった。
これ、ひょっとしてなんですけど、天気が良すぎて蒸発した水が靄みたいになってるとか……?少なくとも、この日も「酷暑」と呼べるような気温だったし……。
でもそれを差し引いても素晴らしい眺望の場所でした。あとはあの道の狭ささえ無ければ行きやすい場所なんですが……。
大久野島
竜王山を須波方面に降りたあとは、国道185号線を通って瀬戸内海沿いを進みます。この辺の景色はホント絶景。以前竹原に行ったときには呉線から眺めた風景ですが、自分でクルマを運転しながら眺めるというのもまた良いものです。
そして竹原市に入って間もないところにある、「忠海(ただのうみ)」という駅近くにある港にクルマを駐め、船で大久野島という島に渡ります。とはいっても、10分程度で渡れるところ。
ここは前日岡山で飲んでいたときに、松井氏(仮名)からぜひ行くようにとプッシュされた場所。『たまゆら』には登場してないものの、セリフでちょろっと触れられたコトはある、らしい。野生のうさぎがたくさん居る一方で、戦時中には旧日本軍が毒ガスの研究・開発を行っていたという負の歴史を持つ島。今では国民休暇村もあり、レジャーの島になっているみたいですけど。
ググってみると結構探訪レポなどが出てくるので、有名な島っぽいですね。確かに私も「うさぎと毒ガスの島がある」と聞いた瞬間に、その意味不明さゆえに興味を持ってしまったのですが。なによりスゴイのが、Googleマップで「毒ガス島」と検索するだけでちゃんとこの島がヒットするところ。
島に到着すると、国民休暇村までの往復をしているバスが待ち構えていたりするんですが、こちらの目的はレジャーではなく散策なので、休暇村とは反対の方向に歩いて行きます。ちなみに島内には船着き場と休暇村くらいにしか飲み物売ってないので、特に夏場はペットボトルを余分にストックしておくこと推奨。ていうか、途中で飲み物が無くなってしまい干上がりかけました。
で、少し歩いて行くだけでうさぎがたくさん出てくる出てくる。エサを欲しがっている模様。あいにく、うさぎにあげられるようなモノは何も持ってなかったんですけど。
んで、船着き場から一番近いとこにあったのが発電所跡。見事な廃墟っぷり。
建物の前にあった案内看板によると、ここで風船爆弾の製造も行われていた模様。そしてその廃墟を見守るうさぎ。
島内を巡る道は舗装されており、休暇村近くのビジターセンターでレンタサイクルもあったみたいです。途中、自転車に乗った人と結構すれ違ったりして、この炎天下に歩いて回っているのが自分くらいなものというコトに気づいた時にはもう完全に休暇村から一番遠いポイントまで進んでしまっていたんですがね!
こちら↓は火薬庫跡。毒ガス作る島に火薬庫?と思ったら、元々この島って日清~日露戦争の時代に芸予要塞の一角として砲台が築かれていたんですね。
そしてこちら↓が島の北部にある砲台跡。島で一番古い軍事施設になるかと思います。発電所跡は倒壊の危険があるため立ち入り禁止とされてますが、こちらは中に入れます。狭いけど。
そして砲台を見守るうさぎ。
その後豊予要塞の建設によりここの砲台は整理の対象となり撤去されたとのコトですが、その後今度は化学兵器の生産拠点として活用されるようになったというワケですね。Wikipediaによるとこの北部砲台が着工されたのが1897年、撤去されたのは1924年。毒ガスの生産施設の建設が始められたのが1929年とのコトなので、ほとんど間を空けずに利用されていたんですねぇ。
砲台跡には後に毒ガスのタンクが置かれていたみたいで、タンクを乗せておくための台座が残されてたりもします。
んで、北部砲台跡から島の中央を徒歩で突っ切っていける道があるみたいだったので、ショートカットできるならばとその道を進んでみました。……が、炎天下の中山越えをするハメになり、死ぬかと思った……。
そして山の頂上には鉄塔が。でかい。
すぐ近くには、北部砲台の後に造られた中部砲台跡があります。
そしてここにもうさぎ。
この戦争遺跡とうさぎの奇妙な取り合わせがなんとも……異世界感がすごいなこの島。島の一番標高が高そうな場所には展望台もあり、瀬戸内を一望できます。この眺めを見られたコトを考えると、登った価値ありました。
その後休暇村の方に向かって山を降り、自販機で水分を補給。この近くには毒ガスの研究を行っていたという施設もあるんですが、戦後一時期は宿泊施設としても利用されていたんだとか。あんまりそういう場所で寝泊まりしたくないような……。
毒ガス資料館なんてのまであったので、せっかくなので覗いていきました。展示してあるものはそこまで多く無いんですけど、入場料100円なのでまぁいいか。
資料館を見たあとはぼちぼち戻ろうかと船着き場へ。しかし島から戻ろうとしたタイミングがちょうどお昼時で、しばらく船が無かったりして。でも炎天下歩き回って疲れてたので、さすがにこれ以上歩き回る元気も無く、船着き場でうさぎと一緒にダレてました。
そういや資料館で上映されていたビデオで「毒ガスの実験にうさぎが使われた」なんてコトを言っているものだから、この島のうさぎってまさかその当時からの……と思ってしまいましたが、毒ガスの実験に使われたうさぎはすべて処分され、今島に居るうさぎは島外の小学校で飼われていたうさぎが島に放されて野生化したものだそう(⇒<2> ウサギと重い歴史共存 : GW ゆったり 島時間 : 企画・連載 : 広島 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))。
しかし毒ガスの製造が行われていた島で、今ではその実験動物だったうさぎが繁殖するようになっているというのもなんだか皮肉な巡り合わせです。かつては島の存在そのものが秘匿され地図からも消されていたとのことですが、それでもたかだか70年くらい前の話なんだよなー……。
その後ようやく来た船に乗り、忠海に到着。船の待ち時間で結構時間をロスってしまいましたが、しかしそれ以上に興味深い島でした。また来てみたいなぁ。
……続く。