大須は萌えているか?

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岡山・広島で城と戦争遺跡巡り その3~江田島と入船山記念館

※この記事は、岡山・広島で城と戦争遺跡巡り その2~大和と利根と甲標的の続きです。

海上自衛隊 第1術科学校

軍艦利根資料館を見物したあとは、江田島湾を挟んだ北側にある海上自衛隊 第1術科学校を目指します。その名の通り海上自衛隊の教育施設なんですが、一般向けに見学コースが用意されており、個人ならば事前申し込み等不要で見学できるという。

第1術科学校:基地見学

見学は平日と土日祝日でそれぞれ1日3~4回、案内人に従って決められたコースを見て回る形。入り口で見学希望の旨伝えると、駐車場にクルマを駐め手続きをするように言われます。名前と住所等書くくらいですけど。

その後見学開始時間まで「江田島クラブ」という建物の1階ロビーで待機。売店や食堂が併設されており、2階には「海上自衛隊歴史ゾーン」という展示コーナーもあります。で、見学時間になったら案内人の人が来て諸々の説明をして、その後案内人の先導で見学希望者が団体でぞろぞろ構内を見て回る感じ。私が行ったときで30人ちょっとくらい居た感じでしょうか。

術科学校は第1から第4まであるそうで、この江田島の第1術科学校は砲術や水雷、掃海等々の艦艇に関する教育を行い、第2~第4はそれぞれ横須賀・下総・舞鶴にあり、機関やら航空機やら補給やらの教育を行っているんだそうな。第1術科学校のルーツは1888年海軍兵学校が築地から江田島に移されたときまでさかのぼるそうなので、相当に歴史のある場所なんですね。

大講堂

で、まず見学したのは大講堂(1917年に建てられたそうな)。 なにやら立派な入り口が見えるんですが、こっちは要人専用となっているそうで。

なので、見学者は反対側から中に入ります。

外観も相当立派な建物ですが、中もかなりのもの。音の反響も考慮されているそうで、式典等の際もマイクは使わないそうです。確かにすげー音が響いてました。

学校庁舎

大講堂の隣にあるのが学校の庁舎。これもまた日本とは思えないような建物。

建物の中には残念ながら入れないんですが、外壁のレンガに触るコトはできました。

そして建物横手から見える廊下。『坂の上の雲』のロケに使われ、本木雅弘がこの廊下を歩くシーンを延々撮影していたコトから「もっくん廊下」という通称で呼ばれているとか。

あと、この学校庁舎前から校庭を挟んだ向こう側に改装前の陸奥に搭載されていた主砲を見るコトができます。改装で撤去後、教育用にここに運ばれたそうで、それが今でもふつーに置いてあるってスゴイな……。

教育参考館

で、最後が教育参考館。

この見学コースは全部で90分なんですが、そのうち45分がこの教育参考館に充てられてます。中に入ったらあとは各自自由に展示物を見られるんですが、中の写真撮影は厳禁(案内人さんにかなりクギを刺されます)。

見学者用の展示物は収蔵品のごく一部みたいなんですが、それでも相当なボリュームがあります。林子平の『海国兵談』から始まって、太平洋戦争での敗戦までの日本海軍の歴史が網羅されており、ちゃんと見ようと思うと45分ではとても足りません。私はその辺のボリュームを見誤って前半時間を掛けすぎてしまい、後半の太平洋戦争のあたりを早足で見るコトになっちゃいました。

それでも、山口多聞の軍帽(ミッドウェーで飛龍乗艦時に被っていたもの)だとか、陸奥や青葉の艦首に取り付けられていた菊花紋章だとか、ここでしか見られないような展示物が無数にあり、確かにこういう歴史があったのだなと実感させられます。

教育参考館の隣にもいくつか展示物が。大和の主砲砲弾と三式弾や、

甲標的 甲型真珠湾攻撃に参加した個体だそう)や、

特攻兵器である「海龍」や(大和ミュージアムにあるものと違ってこちらは試作型)、

雪風の主錨なんてものまであります。

この教育参考館には戦前約4万点もの資料があったそうですが、終戦進駐軍の手に渡ることを恐れ一部を厳島神社大山祗神社に奉納し、残りを焼却処分してしまったそうで。で、現在では返却された約1万6千点の資料を収蔵し、そのうち1,000点あまりが展示されているとのこと。

大和ミュージアムの展示品もかなりのものだと思いますが、ここはまさに海軍の歴史が詰まっている印象。見に来て良かったです。

なお、昼食は江田島クラブの食堂でカツカレーを食べました。

三高山砲台跡

この日は広島周辺だけピンポイントで雨雲がかかっているという嫌がらせのような天気だったんですが、昼過ぎには少しだけ日が差したりもしてきました。なので、近くにある古鷹山にちょっとクルマで登ってみたりして。頂上までは行きませんでしたが。

古鷹山は重巡「古鷹」の由来となっている山ですね。第1術科学校からもよく見えるコトから、学校のシンボルとなっている山でもあるようです。海軍以来、古鷹山登山は学校の伝統になっているんだとか。今でも江田島と呉を結ぶフェリーの名前が「古鷹」ですね。

その後、再び利根資料館があった方へ戻り、江田島の北西にある三高山へ行ってみました。ここは砲台山とも呼ばれ、明治時代に築かれた砲台跡が残っている場所。車道があるので、クルマで頂上近くまで登れます。ここからの眺望もかなりのもの。

砲台跡はかなりキレイに保存されており、かつ規模もかなり大きなもの。以前行った大久野島を思い出しました。

砲台跡は北部砲台と南部砲台に分かれており、北部砲台跡の端っこには展望所もあります。

ここからのパノラマがまた実に見事、なんですがちょっと雲が多いね……。

南部砲台の方は端っこの方に何かあるのかな、と山道を歩いて行ったところ、

……あったのは三角点くらいでした。

入船山記念館

三高山を見物した後はぼちぼち呉へ戻ります。ただ、レンタカーを返却する時間までもう少しだけ時間があったので、呉市街にある入船山記念館に行ってみました。

この建物は旧呉鎮守府司令長官官舎として使用されていたもの。呉鎮のテートクは良いところに住んでるネー。中も見学できるんですが、入り口はこの洋館部分の奥にあります。いきなり純和風になるから驚いた。

この建物、洋館部分と和館部分がドッキングしたような感じになっており、洋館部分は賓客をもてなすために使われていたのか内装も非常に豪華。

壁紙には金唐紙が使われているんですが、現存するものが非常に少なく貴重なんだそうな。壁紙に手を触れるのはNGですが、館内には触ってもOKな見本も用意されてました。

あと、館内に金属製の大和の模型があるんですが、

これがもう信じられないくらい細かい仕事が為されていて、じっくり見ると驚くばかり。

そして豪華な洋館部分に比べると、和館部分はワビサビめいています。こっちが普段の居住スペースだったんでしょうか。

あと、記念艦入り口にある時計は呉海軍工廠造機部の屋上に設置されていたものだそうで、今でも時を刻み1日4回メロディーが流れる仕掛けになっているそうな。

入船山記念館を見物したところで程よい時間になったので、レンタカーを返却して次なる目的地へ向かいます。……続く。