大須は萌えているか?

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岡山・広島で城と戦争遺跡巡り その4~陸奥記念館・錦帯橋・宮島

※この記事は岡山・広島で城と戦争遺跡巡り その3~江田島と入船山記念館の続きです。今回でラスト。

陸奥記念館へ

レンタカーで江田島と入船山記念館を見物したあとは、電車に乗り岩国へ行きます。岩国ってもう山口県なんですけど、文化圏的には広島だよね?

岩国の駅前にあるホテルで1泊し、翌日再びレンタカーを借ります。レンタカーはいつもトヨタを使うんですが、岩国は駅前に店が無かったので、ホテルの真向かいにあったタイムズカーレンタル(旧マツダレンタカー)でデミオを借りました。何気にデミオを運転するの初めてだ。

クルマ自体には特に不満は無いんですが、ナビが古くてBluetooth対応してない(= iPhoneの音楽をBGMにできない)、さらに借りた店の場所が間違っていた(データが古い?)のはちょっと不満かな。トヨタヴィッツプリウス、アクアを借りるとほぼBluetooth対応ナビが付いてるのが良いんですよね。

それはさておき、岩国から目指すのは周防大島の端っこの方にある陸奥記念館。陸路だと広島からめっちゃ大回りしていく必要があるため、わざわざ岩国に1泊したのでした。

柱島泊地停泊中に爆沈した陸奥の沈没地点からほど近いためにこのような場所にあるみたいなんですが、岩国からでもクルマで1時間半掛かります。フェリーもあるにはあるんですが、四国の松山からの航路はあるものの広島との航路が無く、それなら大人しく大回りしていくか……っていう。

ただまー、岩国からずっと海沿いを走っていくコトになるんですけど、景色は抜群。瀬戸内の多島美を存分に楽しめます。

ちなみに上の写真は帰り道に撮影したんですが、実は往路では周防大島に入ってしばらく、かなりの濃霧が出ていました。ホントに少し先までしか見えないくらいの。陸奥が爆沈したときも柱島沖は霧に包まれていたと言いますが、なんかちょっとゾクゾクしちゃったりして。

しかし、陸奥記念館に到着する頃には良い天気になってました。

ここには海底に眠る陸奥からサルベージされたものや、陸奥にまつわる品々や写真が展示されてます。ヒビが入り、錆びだらけになった舷窓など見るとひどく生々しい感じがしますね。

爆発した第三砲塔の写真なんかも。

屋外にも展示があり、陸奥の副砲やらスクリューやら、切り取られた艦首部分もあります。

ここに付いていた菊花紋章は、前日訪れた江田島の第1術科学校で見たばかり。そしてこれらの展示物の隣には、「方向 約3km」と書かれた海を指し示す看板が。

この先に、陸奥の爆沈地点があるワケですね。このときは晴れてはいましたが、海上にはまだ結構霧が出ており、あまり遠くまで見通せる状態ではありませんでした。下の写真奥に移っている船も少し霞んで見えます。

陸奥記念艦の隣には陸奥野営場というキャンプ場があり、そこにはなぜか海上自衛隊のPS–1飛行艇が置かれてます。ていうかここ、植え込みとかが多くて機体全部をフレームに入れられない……。

よく見ると、海岸の柵にも陸奥のシルエットが施されています。

艦これでは「MNB(陸奥になるビーム)」発祥の地であるラバウル基地サーバ所属であり、以前吉村昭の『陸奥爆沈』を読だりもして前から興味があった場所ですが、陸奥という戦艦を身近に感じることができ、長い移動時間を掛けてでも来た甲斐はありました。

陸奥の爆沈事故も、特攻などとはまた違う形で戦争の歪みが表出しているようにも見えるワケで、この海底で朽ちた陸奥の姿を目にすると、ちょっと考えさせられるものがあります。

錦帯橋岩国城

陸奥記念館を見たあとは来た道を引き返し、岩国でレンタカーを返却。この日は愛知に戻る予定だったんですが、天気も良いしまだ時間もあるので、せっかくなので有名な錦帯橋にも行ってみるコトに。幸い岩国駅から15分間隔くらいでバスが出ているので、それに乗っていきました。

四国のはりまや橋は日本3大ガッカリスポットのひとつとして有名ですが、こちらはなかなかに見事な橋ですね。地元では錦帯橋世界遺産に、なんて運動も行われているみたいですが、割と頻繁に掛け替え工事が行われているコトを考えると……伊勢神宮も20年に1度遷宮が行われているコトでNG、って話みたいですし。

そういや、吉川英治の小説『宮本武蔵』において、佐々木小次郎が「燕返し」を編み出したのがこの錦帯橋の河原なんですね。実際は錦帯橋が完成したのは巌流島の決闘よりずっと後だそうで、これは完全に創作のお話。

錦帯橋を渡るにはお金が要るんですが、近くにある岩国城の入場券と、天守のある山の上まで登るロープウェイがセットになったチケットがあったのでそれを購入。ロープウェイは片道3分ほどですが、それでもかなり良い景色。

ロープウェイの駅から岩国城までは徒歩5分程度、段差が無いよう整備された道とちょっとした山道がありますが、山道といっても大したもんじゃないので、車椅子の人とかで無ければ山道もアリです。

そして天守に到着。

現在の天守は1962年に再建された鉄筋コンクリート製で、元々は毛利一族の吉川広家により1608年に築城されたものの、1615年の一国一城令により7年で破却するハメになったという。ただ、このとき毛利家は減封させられたとはいえ周防国岩国城)と長門国(萩城)という2つの国を領有しており、別に破却する必要なかったんじゃね?という説も。なにやら複雑な事情があったようで。

復元天守の近くには「旧天守台」があり、本来はこちらに天守があったようです。たぶん、再建する際に錦帯橋のあたりから良く見えるよう位置をずらしたんでしょうね。

天守の中には刀剣やら錦帯橋の模型やらが展示してあるんですが、これはまぁ割と見ても見なくても良い感じ。ただ、天守最上階からの眺めは素晴らしいですね。視界が良ければ、柱島なんかも見えるようです。

ちなみに錦帯橋の辺りには修学旅行かなんかの中高生でごった返していたんですが、女子の集団がバス乗り場で奇声レベルの大騒ぎをしていたのは勘弁して欲しかったです。いくら私が女高生とか好きでも限度がありますとも、ええ。

宮島

あとは岩国駅に戻って愛知に帰る……前に、せっかくだから宮島にも寄っていきます。普通電車で数駅のところだし。宮島は以前四国旅行の帰りがけに寄って以来2度目。日差しが強いせいか、鹿も日陰で涼んでおりました。

訪れたときにはちょうど潮が引いており、大鳥居まで歩いていける状態になってました。

これ、鳥居の根っこのところ見るとフジツボの中に小銭が埋め込まれているのがシュール。ていうか、鳥居に賽銭ねじ込むのってどうなんですかね……。

せっかくなので厳島神社にも参拝していったんですが、そんなにべらぼうな混雑ではありませんでした。大鳥居や土産物屋の辺りはかなりの人が居たんですが。

参拝を終えてまた大鳥居を見てみると、少しずつ潮が満ちてきてました。このまま日没まで居たかったんですが、そうなるとさすがに帰るのがキツくなるのでここら辺で撤収。

フェリー乗り場までの道すがら、小腹が空いたのでたまたま目に付いた「牡蠣カレーパン」なるものを買ってみたのですが、コレがなかなか美味しくて。

すると、それを見た鹿が「よこせ」とばかりに寄ってきて、エサをやってはまずいので無視してたら突っかかってきて私のシャツの端にかじり付いてきやがりました。びっくりした私が「ほ、ホァーッ!」みたいな叫び声を上げながら撮影した写真が以下です。

そんなこんなで

2泊3日の小旅行ではありますが、行きたいところにはだいたい行けたので概ね満足しました。3日目以外は天気にあんま恵まれなかったのが残念ではありますが。なんか、ここしばらく連休の旅行って微妙に天候に恵まれてないような……まぁ、大雨にならなかっただけ良しとするべきなんでしょう。

呉はまた足を運びたいですね、カレー食べに。