大須は萌えているか?

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香嵐渓にリベンジしたらまたも敗北したので松平郷に寄った話

先日履き替えた新しいタイヤの具合も見てみたいし、ちょいと軽くドライブでも行こうかと思っていたら、ウチのかーちゃんが「それなら香嵐渓に連れて行け」と宣うので出掛けてきました。香嵐渓ってつい最近行ったばっかなんですが、そのとき見られなかったカタクリの花が今ちょうど見頃だというので。

香嵐渓

前回出掛けたときは花粉でヒドい目に遭いましたが、出掛けようとした日は午前中が雨、午後は晴れという予報で、花粉はそれほどヒドくないだろう……と思いつつ。

……が、午後になっても案外天候の回復が遅く、すぐ止むだろうと思っていた雨も香嵐渓についた段階でまだ少し降っている状態でした。で、カタクリの花はというと、

みんな閉じちゃってる!!カタクリの花は雨だと閉じちゃうんですねぇ。おかげで、見頃だというのに駐車場が割と空いていたんですが。カタクリの花がちゃんと咲いている様子はWikipediaなどでご覧ください。なお、片栗粉はかつてこのカタクリから生成されていましたが、現在ではジャガイモ等が主な原料。

しかし、これだけの花が皆閉じてしまっている様子は、これはこれでなんだかシュールです。

びみょーに開いてたりするのもあるんですけどね、びみょーに。

いやしかし、このカタクリが群生している様は確かになかなかのもので、これが一斉に咲いている様子はそりゃあ見事でしょう。きっと。

というワケで、「花粉を嫌って雨の日にカタクリの花を見に行ってはいけない」という新たな教訓を得るコトができました。まぁ、また改めて来る……かな……?

松平郷

しかし、ここまで来てこれだけで帰るのもなんなので、香嵐渓から南へ少し進んだところにある松平郷に行ってみました。後の徳川家康へと連なる、松平家発祥の地とされる場所です。

駐車場にクルマを駐めて、すぐ隣にあったのが松平東照宮。やはり徳川縁の地に東照宮は基本ですね。

しかしこんな三河の田舎(失礼)にある神社としてはなかなか立派で、なんと掘まであります。

どうもここ、元々は松平氏の居館があった場所のようで。だからこんな実戦的(?)な縄張りになっているんですね。賽銭箱にもしっかり三つ葉葵の紋が。

神社の奥には、家康が生まれたときにも使われたとされる産湯の井戸があります。写真手前の石の屋根が置かれているのがその井戸。

徳川家康岡崎城で生まれたのでは……と思ったら、説明の看板を見ると、家康誕生の際、この井戸の水を早馬で岡崎城に届けさせたという記録が残っているそうで……まぁ岡崎ならここから割と近いから十分イケるとは思うけどさ。ちなみに、岡崎城にも「東照公産湯の井戸」があります。

そして東照宮の近くには、左右に並んだ石柱の奥に佇む銅像が。

これ、ドラクエなんかだと絶対近づいた途端に動き出して襲ってくるやつや。ちなみにこの銅像松平家の初代・親氏(ちかうじ)だそうで。ウホッ、いい男。出自があいまいなコトもあり、非実在説もあるそうな。

この辺りの風景はものの見事な田舎風景ですが、岡崎市街やトヨタ本社も割と近いロケーションだったりします。愛知県の神秘。

そこから少し坂を登っていくと、松平家菩提寺である高月院があります。

説明書きによると、家康が寺領として100石を下賜したりして、幕府から厚遇されていたようで。山門・本堂は三代将軍・家光によって建てられたとされます。

境内には家康の手植えというシダレザクラがありましたが、マジっすか。

寺の墓所には親氏や松平二代目・泰親の墓もあります。一番高い場所にあるのでわかりやすいです。

墓そのものは割と質素なものなんですが、それゆえに歴史を感じるものですね。

徳川幕府300年のルーツがここにあると思うと趣深いものがありますが、しかし家康が生まれるまでは(生まれたあとも?)、松平家の人々もまさか自分らの家系から天下人が生まれるなんて思って無かったんじゃないでしょうか。ていうか、家康自身もたぶん若い頃はそんなコト思って無かったよねきっと。

なお、松平健さんは本名が鈴木さんで豊橋市の出身なので、松平郷とは関係ないっぽいです。