大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

愚民共に叡智をさずけることはできるのか、を考える一冊(?) 『遅いインターネット』

どっかのサイトで誰かが言及していたのを見て、なんとなく読んでみた本がこちら。

著者の宇野常寛は、ネットとかでたまに名前を見かけることあるなー、くらいの認識で、氏の著作を読んだコトはありませんでした。本書は、初っぱなから「平成とは失敗したプロジェクトである」とぶち上げ、失敗したコトにすら気付いていない日本人を嘆き、トランプを大統領に押し上げたアメリカの分断を嘆き、どうして今世界はこのようなコトになってしまっているのか、どうすればこれを是正できるのか、みたいなコトを論じている本です。

そして、日本が勝ち組から負け組に転落しつつある理由、世界に新たな分断が生まれつつある理由を、グローバル化する経済とローカルな政治の対立に求めています。なぜその2つが対立するかと言えば、「世界に素手で触れている感覚」の有無にあると。つまり、国という枠組みを超えたビジネスで生計を立てられる、国に縛られずに活躍できるような人は、国という枠組みを介さなくとも「世界に素手で触れる」ことができる。しかし、そうしたグローバル化に適応できない人は、国という枠組みの中からでしか「世界に素手で触れる」感覚を得るコトができない。そして、そうした人々が一番強く「世界に素手で触れる」感覚を得られる非日常的なイベントが、選挙というワケです。

本書では、グローバル経済が拡大していく世の中に適応した人を『「Anywhere」な人々』、それに適応できず場所や国境に縛られた人々を『「Somewhere」な人々』と読んでますが、なんかコレガンダムで言うところの「ニュータイプ」と「オールドタイプ」と置き換えてもそのまま通じそうですね。

「Anywhere」な人々は国という枠組みを飛び越えてしまってるがゆえに、民主主義という政治制度への興味も薄れてしまい、逆に「Somewhere」な人々は国に縛られてるがゆえにローカルな政治への関心も相対的に高い、ゆえに民主主義はグローバル経済を肯定できない構造になってしまっているとも言います。

そう、あたらしい「境界のない世界」の住人たちは、旧い「境界のある世界」の住人たちに、政治の、具体的には民主主義の場においては敗北する他ないのだ。なぜならば、あたらしい世界のアイデンティティは最初から政治を、民主主義を必要としていないからだ。現代の世界の構造上では、民主主義はこのあたらしい「境界のない世界」を原理的に肯定できないのだ。

via 『遅いインターネット(NewsPicks Book)』 Kindle版 位置No.473

著者は「Anywhere」な人々の価値観を肯定し、「Somewhere」な人々を啓蒙してグローバル化を推し進めて行くべし、というスタンス。それゆえ、昨今の政治の場でグローバル化に逆行するような事象が起きているのは、「Anywhere」な人々の敗北を意味するのではなく、そもそも民主主義という仕組みの限界なのだ、という主張になるワケです。

現状では、「Anywhere」な人々というのは一握りの成功者に限られている。これを、徐々にでも「Somewhere」な人々も「Anywhere」な人々に変化させていくしかない。しかしそれにはものすごい時間が掛かるので、その時間を稼ぎつつ、少しでも変化を促進させる手立てを考えよう、というのが本書のテーマ。要はアレですね、ガンダムで言うところの

シャア「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ!」

via 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』 より

ってヤツですね!(なんか違う)

そして本書の第3章では、かつて吉本隆明がその著書『共同幻想論』で論じた「三つの幻想」を取り上げながら、現代のソーシャルメディアの問題に言及しています。要は、「Somewhere」な人々がSNSに触れてしまうと、ズブズブな幻想空間に取り込まれて自立した思考ができなくなる、みたいな話。そして、そこで必要なのが、本書のタイトルにある「遅いインターネット」というワケです。

しかしまー、吉本隆明以外にも糸井重里やらディズニー映画やらポケモンGOやら、目を惹くキーワードを散りばめていろいろ語られてはいるんですが、平たくいえば「今のインターネットはすっかり馬鹿量産装置になっているから、これなんとかしようぜ」という話に帰結するかと思います。そしてそのためには、目まぐるしいスピードで話題が展開し、立ち止まって考えるヒマすら与えられないSNSとは距離をとって、じっくりと思考できるインターネットコミュニティを作ろう、というワケです。

……こうしてみると、特に目新しい主張では無いよーな気もします。というか、だったらインターネットにこだわらず、オフラインでの活動に主軸を置こう、という主張でも良い気がしますが、著者はそういうアプローチもとっくにやっていて、それでもなお足りないと思うからこういう主張をしているのだ、というコトだそうです。

インターネットが本質的に「速い」メディアならその外側にある本質的に「遅い」メディア、たとえば紙の本に戦略的に撤退すべきなのではないか。あるいはインターネットが代表するメディアの問題をその外側から解決するために、実空間に人々が集うコミュニティを拠点にすべきではないか、と。もちろん、これらの指摘は正しい。だから僕はとっくの昔にこれらのアプローチを実践している。僕の名前で検索すれば、僕が10年以上紙の雑誌や書籍を発行し続けていることや、近年は読者を組織して私塾的な勉強会の類を、それも自分の中心的な仕事として継続している事実が記録されているはずだ。そしてその上でもまだ足りないものを補うために僕はいま、「遅く」「インターネット」を使用する運動を提案しているのだ。

via 『遅いインターネット(NewsPicks Book)』 Kindle版 位置No.2148

かつて「WEB2.0」なんて言葉が持て囃されて、WEBにおけるいかなる情報発信も無邪気に肯定されていた時代から一転して、今やSNSではフェイクニュースやデマが毎日のように飛び交い、それを元に実際に危害を加えられる人まで出てくる時代になってしまいました。こうした現代のWEBに対する「手詰まり感」みたいな感覚は個人的にも持っていますし、著者の主張に頷けるところもあるのです。

しかしながら、その理想を広く大衆に広めようと考えているならば、この『遅いインターネット』という提案は不十分と言わざるを得ません。だってコレも、結局はローカルなコミュニティの域を出ないじゃんね。この活動を、幅広い層に訴えていくための手立てが欠落しているのです。それ無くしては、「Somewhere」な人々の変化は望めないですよね。第2章では『Ingress』と『ポケモンGO』を並べて、エリーティズムポピュリズムのバランスの取り方の困難さについて触れていたりもしますが、この『遅いインターネット』はエリーティズムに偏った主張であるように見えます。

そもそもが、民主主義の限界を主張してはいるものの、「Anywhere」な人々だって生活拠点としてはどこかの国に籍を置き、そのビジネスだってローカルな政治の影響と無関係では居られないんだから、「民主主義に関わるインセンティブが無い」なんてぶっこいてる場合じゃないと思いますしね。そしてなぜこれだけグローバル化の波に反発する「Somewhere」な人々が大勢居るかといえば、そりゃ結局「グローバル経済」の恩恵を受けている、と実感できている人が少数派だからに過ぎません。

そこにあるのは「このまま行くと自分の生活が成り立たなくなるのではないか」という切実な危機感であり、その危機感が強いからこそポピュリズムに絡め取られやすくなっている、とも言えます。そうした人々の考えを是正させたいならば、必要なのは『遅いインターネット』ではなく、「俺は今後も食いっぱぐれることはない」という安心感じゃないかと思うんですが。

本書を貫く主張には、「グローバル化は善、そこに抵抗するものは馬鹿」みたいな思考が根底にあるワケですが、そこにある「抵抗したくなる心理」をもっと掘り下げ、寄り添うコトから始めないとダメなんじゃないですかね。てか、この本が世に出た直後に、COVID-19の猛威があっという間に世界を覆い、グローバル化対する完全な逆風になってしまっているのも、なんだか皮肉めいた感じはしてしまいます。

最後に、もうひとつ好きなガンダムのセリフを。

アムロ「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない。しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって、官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。だったら……」

シャア「私は、世直しなど考えていない!」

via 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』 より

やっぱ富野由悠季って天才じゃね?(なんの話だ)