大須は萌えているか?

gooブログからこっちに移動しました

炎上したときに謝罪ではなく再反論して火に油を注ぐ心理って

2年半くらい前に、こんな記事↓を書いていたのですが。

「誤読して頓珍漢な批判するなムキー!」問題を考える - 大須は萌えているか?

ここでネタにさせていただいた長谷川豊氏、その後『自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!』というタイトルの、越えてはいけない一線を軽々と越える記事をぶち上げてテレビ業界をつまみ出されたのは記憶に新しいところ。

それはさておき。つい最近、アニメ監督のヤマカン氏のブログが炎上しているのを見かけました。小金井ストーカー事件の判決に関するお話ですね。下のリスト↓の最初の記事が炎上の発端となった記事、そのあとの二つが炎上に対する反論というか、リアクションとなってます。

要は「被害者にも落ち度があったのではないか」という物言いに不特定多数の読み手が反感を覚えた、というよくある話ですね。これに対してヤマカン氏、以下のように反論してます。

「被害者を罵倒した!被害者も悪いと言い出した!」いいえ、言ってません。 100%加害者が悪いと言っています。

ただ被害者に、キチガイが寄ってきた時の対処法はあったのか?という疑義です。 それは今後、誰かが同じような被害に遭わないための教訓にすべきだとだけ言ってます。

via: 山本寛 公式ブログ - トラブルシューティング2 - Powered by LINE

まぁ確かに、発端となった記事を最大限好意的に解釈すればそういう読み方もできるんですが、しかしながら以下のような一文で締められている記事を、「同じような被害に遭わないための教訓」と見做すことはかなり困難であると考えます。

気のキツさを責めている訳ではありません、ならばそれを貫く覚悟と、トラブルシューティングがちゃんとできていたのか?というところだけが、どうしても疑問です。

一般人ではなくプロなのだから、そこはもっと考えるべきではなかったのか、と。

via: 山本寛 公式ブログ - トラブルシューティング - Powered by LINE

例えば、「犯人が100%悪いのは言うまでもないが、しかしこうして犯人が裁かれても、被害に遭ってからでは取り戻せないものが大きすぎる。こうした悲劇が繰り返されないように、我々が注意できることを考えてみたい」みたいな言い方すれば、そこまで反感買わなかったと思うんですがいかかでしょうか。こういうのって、言い方ひとつでずいぶんと印象が変わるものです。

……が、ヤマカン氏は自分の言い方が悪かった、とはカケラも思って無いご様子。ていうか、ヤマカン氏のブログ記事をざっと流し読みしてみると、大衆というものに対して異様に嫌悪感を持っている感じがするんですよね。

呆れたのはこっちだ。 どれだけこの国の国民は「右へならえ」を繰り返せば気が済むのか。 本っ当に、空気に屈する国だねぇ、この薄汚いゴミ国家は。

via: 山本寛 公式ブログ - 判官びいき - Powered by LINE

要は、批判してくる人たちのことを「文意を解釈すれば自明の話を、気にくわないからと寄ってたかって揚げ足取りをしてくる馬鹿ども」くらいに思っている感じ。

そういや最近、長谷川氏も

てなTweetをしてまた物議を醸しておりますが、これもヤマカン氏同様に「『殺せ』とは言葉のレトリックであって、それは記事の文意を解釈すれば自明」とい言いたいのでしょう。テレビから干されたあとは反省している素振りもありましたが、維新に声かけられてからまた復活してきましたねぇ。

まぁ確かにね、しょーもない揚げ足取りをしてくる人も世の中にはたくさん居ますし、むしろそういう人たちが一番WEBで活発に動き回っているような気がしないでもありません。しかし、大量の批判が寄せられる状態になっても、それをひとまとめに「文意を解釈しない馬鹿ども」と切って捨てるのはなかなか豪胆だなぁ、と思ったりするワケです。並みの人間なら、「表現マズったかな?」とか自省の念にかられたりしそうなもんですが。ヤマカン氏や長谷川氏にしてみれば、大量の批判が来るのは空気を読んで「右へならえ」するヤツが多いから、あるいはごく少数の人間が別人を装って大量の批判を書き込んでいるせいであり、自分の表現は間違っていない……という解釈になるんでしょう。

ヤマカン氏は

僕はこういった理不尽な悪意、邪気、狂気と「戦う」と明言しています。

via: 山本寛 公式ブログ - トラブルシューティング2 - Powered by LINE

……とまで言ってますが、正直これは不毛極まりない話でしょう。戦う相手が実体を持たない以上、終わりが無い。自分が摩滅するだけです。それよりも、不特定多数に意見を投げかけるとき、特に批判的な物言いが含まれるときには、それとなく表現に気を遣った方が生産的な議論に発展する可能性が高まります。もちろん、どんな表現でも誰かの反感を買う可能性は常にあるワケですが、それをある程度少なくするコトは可能でしょう。少なくとも、「批判するヤツは皆わかってない」みたいな反論するのは悪手以外の何者でもない。

そんなコトは、きっとヤマカン氏も長谷川氏も分かってると思うのです。でもそうはしない。この辺の心理ってなんなんでしょう。プライドなのか、虚栄心なのか、はたまた。……ある意味ピュアなのかな?