大須は萌えているか?

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自宅警備隊西へ その2 石見銀山編

※画像多め。記事タイトルに意味はありません。

この記事は、「自宅警備隊西へ その1 広島・竹原編」の続きです。

竹原を見物した後は、再び呉線に乗って三原まで行き一泊。なんで広島に戻らず三原なのかといえば、広島駅近くに適当なビジネスホテルの空室が見つからなかったからです以上。とはいえ、広島なんてホテルの数はかなりあるはずなんで、じっくり探せばあったハズとは思うんですが。

ともあれ、三原で一泊して、翌日三原駅からこだまに乗り広島まで行きました。待ち合わせをしていた荒川氏は東京から飛行機で広島着。そして広島でレンタカーを借り、ふらふらと出発。ちなみに今回借りたクルマはトヨタのアクア。なぜかレンタカーではハイブリッドを借りるのが通例になりつつあります。

オドメーターを見たら、走行距離が100kmにも満たないバリ新車。車内も新車のかほりで満たされています。素晴らしい。こっから数百キロ単位で走り回らせちゃうけど勘弁してね。

石見銀山

広島からまず向かったのは島根の石見銀山世界遺産的なアレ。広島から見ると、ちょうど真北くらいの位置なんですよね。「自然との共生」みたいなところが評価されて世界遺産登録されたとのコトですが、実際どんな雰囲気の場所なんだろか、というのがちょっと気になってたので、行ってみるコトに。

石見銀山周辺は道が細い山道であり、渋滞が懸念されるというコトで、パーク&ライド方式が採用されてました。クルマは「石見銀山世界遺産センター」の駐車場に駐めておき、そこからバスに乗っていく形。バスは有料で、190円もしくは230円(降りるバス停により違う)。

石見銀山の見物エリアは大きく「銀山地区」と「町並み地区」に分かれてます。「銀山地区」は実際の銀山の坑道(「間歩(まぶ)」というらしい)跡などが点在するエリア、「町並み地区」は古い町並みや神社仏閣が保存されているエリア。

この2つのエリアの真ん中らへんと、町並み地区の一番端っこにそれぞれバス停が存在します。まぁその辺は以下のページなんかにあるPDFを見ていただくとわかりやすいかと。

観光散策ガイド・マップ - 石見銀山世界遺産センター(島根県大田市大森町)

銀山地区

私たちは2つのエリアの真ん中らへんにある「大森」バス停で降りて、まずは銀山地区を歩いてみるコトに。世界遺産センターに居たガイドの人には、まともに歩くと結構時間が掛かると言われていたんですが、私も荒川氏も歩くペースが速めなので、想定よりもかなり良いペースで歩きまくり。

しかし、程よく昼飯どきの時間になっていたので、どこかでメシでも食えないかと思っていたら、なんだかオサレなイタリアンレストランがありました。山の中なのになんて便利な。

でも、建物はレトロな感じで景観を壊さないようになっているのはさすが。ここ、バイキング形式になっており、調子に乗ってパスタやらチキンやらを大皿に盛るコト2回、そして最後にカレーとハンバーグを食ったところ、超満腹になりしばらく動けず、その後歩くペースも鈍くなったりもしました。……いやだってさ、バイキングなんて言われたら元を取ろうと思うじゃん?思うよね?

銀山の「間歩」は大小さまざまで、言われないと気づかないレベルのものもあります。Wikipediaには

このような積極的な地元住民の活動の一方で、石見銀山は単なる「穴」だとして世界遺産指定に困惑しているという地元住民の声も取り上げられた。

via: 石見銀山 - Wikipedia

なんて記述もありますが、確かになんの予備知識も無く見れば、単なる穴ですな。

ただ、それって裏を返せばうまく自然と共生できていたというコトなのかもしれません。最盛期には世界にその名を知られていたというレベルの銀山だったという割には、非常にその銀山の存在がわかりにくく、かつ自然が豊か。

そして銀山地区の一番奥には、唯一ふつーに内部を見物できる間歩、「龍源寺間歩」があります(もうひとつ、予約ツアー限定公開の大久保間歩というのもある)。ちなみに入場料400円。

中にはまた無数の横穴が開けられており、ライトによって内部が見られるようにもなってます。

しかしこれらの横穴、かなり狭い。こんなところに潜り込んで、日々穴を掘り続けるというのは結構シャレになっていない労働な気も。おまけに、その環境ゆえに鉱夫たちは短命でもあったようです。

金銀の精錬工程として当時の日本においては先進的であった「灰吹法」という技術が使われ、その際に酸化鉛の粉塵を吸い込んだ鉱夫たちは急性または慢性の鉛中毒を発症した。鉛には発がん性もあると考えられているので、坑道内の出水・高温多湿や鉱滓・煤塵などの劣悪な環境も相まって、当時の鉱夫は短命であったといわれる。大森地内に各宗派の寺院が多数あることや、古文書の研究からその平均寿命はおよそ30歳程度であり、家族構成はその多くが独身もしくは夫婦のみ、と伝えられている。

via: 石見銀山 - Wikipedia

文字通り命削って仕事してる感じ。たしかに、あのそんなに広くないエリアの中に神社仏閣の類いが多いなぁとは思いましたが。鉱山病で仕事ができなくなった鉱夫に対し食料を支給するなどの保護政策や、遊郭を設置したりもしていたようですが、一方で銀を盗むなどした罪人の公開処刑場もあったとされ、究極のアメとムチという気がしないでもありません。

たぶん江戸時代の鉱山なんてどれも同じような感じで、佐渡金山なんて「佐渡の金山この世の地獄」と歌われてるってなモンですが、こうした「負の歴史」も含めて後世に残していって欲しいものです。

豊栄神社

龍源寺間歩を見終わり、銀山地区を引き返している途中、道中にある豊栄神社という神社が気になり寄ってみました。いやなにせここ、全然手入れされておらずボロボロなのです。

灯籠なども無残な姿に。

荒川氏が近所の店のオヤジさんに聞き込みしたところ、なかなか修復の予算が付かず手が回ってない、かといって文化財指定されているから近所の人間が勝手に修復することもできない、とのこと。難儀な話。

元々は毛利元就が自身の木像を神体として祀ったのが始まりみたいなんですが、お殿様の自己満足的な神社だから後回しでいいかー的な扱いなんでしょか。

町並み地区

銀山地区を見終わったあと、まだ時間には余裕があったので町並み地区もぶらぶらと。前日の竹原に続き、2日連続で「古い町並み」を見物しているという。

町並み地区には観世音寺という高台にある寺があったので、ちょっと見物。

町並みが一望できるかなー、と思ったんですが、やや下った位置にある寺だったため、期待したほどでもありませんでした。

その後「大森代官所跡」のバス停まで行き、バスで世界遺産センターへと戻り。ちなみにバスは、休日なら15分に1本のペースで出ています。それなりに混み合いますけどね。

その後

石見銀山を見物したあとは、ぶらぶらとクルマを走らせて、この日宿泊する美又温泉へと。宿を手配した荒川氏曰く、最初は温泉津(ゆのつ)温泉に宿を取ろうと思ったら満杯で、こっちなら空いてたからここに決めた、とのこと。

まぁ、ここに行くのに思わぬ険道にはまりこんでしまったり、温泉街がかなり小さいマニアックなところだったというのはまた別の話。しかし、ご飯のボリュームはなかなかのものだったので概ねオッケーです(単純)。

続く。