※画像多め。記事タイトルに意味はありません。
この記事は、「自宅警備隊西へ その4 角島編」の続きです。
角島を見物したあとは、関門海峡がほぼ目の前というロケーションにある「源平荘」という宿で一泊。壇ノ浦がすぐそこというコトで、落ち武者の幽霊とか出てくるんだろうかと期待(?)しておりましたが、残念ながらぐっすり眠れてしまいました。下関といえばフグだろうというコトで、シーズンがほぼ終わっているにも関わらずフグ食べたりして。でも美味しかったです。
関門海峡
朝、宿をチェックアウトしたあとにしばらく関門海峡周辺をぶらぶらしたんですが、関門海峡って思いの外狭い。すぐ目の前九州。
関門海峡には人と自転車が通行できる人道トンネルもありますが、歩いて10~15分で対岸まで行けてしまうという。でも、その狭い海峡を船がバンバン通るのがまたデンジャラス。しかも潮の流れがコロコロ変わるというコトで、そりゃ船舶の事故も起きますわ。
ちなみに、この近くに「W」とか「↑」とかって表示が出る謎のでっかい電光掲示板があるんですけど、これは潮流の向き・速さや変化を船舶に知らせるものなんだそうな。
下関みもすそ川公園
関門大橋のすぐ近くには、「下関みもすそ川公園」という公園があります。ここでまず目に付くのが、ずらっと並ぶ大砲(のレプリカ)。その名も「長州砲(八十斤加農砲)」。なんて男らしい名前。
長州藩はこれで「攘夷じゃー」と外国船にケンカ売って、翌年米英仏蘭の4国連合艦隊にフルボッコにされたという心温まるお話ですね。
そして壇ノ浦の合戦があった場所というコトで、源義経と平教経の像があったりもします。
義経の八艘飛びのシーンなんでしょうけど、実際問題こんなカッコで数メートル離れた船に飛び移っていったなんて作り話にも程があるだろうという気がしないでもないですが、しかし『源平討魔伝』の義経を思い起こすと、いやむしろ八艘飛びくらい余裕かもしれないと思ったりもします。のほほほほほほほ。
赤間神宮
関門大橋から少し歩くと、赤間神宮という安徳天皇を祀った神社が。
入口には竜宮城を模したという水天門。中ではなにやら通路等の設営作業が行われており、なんかイベントでもあるのかなーと思ってたら、毎年5月2日~4日に「先帝祭」という安徳天皇や平家一門を追悼する祭りが開催されているようで。私たちは5月2日のアサイチで足を運んだので、まだ準備中だったというコトですかね。しかし、壇ノ浦の合戦ってもう800年以上前なんですけど……。
この神社、怪談『耳無し芳一』舞台でもあるというコトで、耳無し芳一像なんてのまであります。
そしてそのすぐ隣には、平家一門の墓。
合戦から長い時間を経ても、未だこんなふうに祭りまで行われて祀られているのは、それだけ平家の滅び行く様が悲劇的だったからでしょうか。そして耳無し芳一もそうですけど、平家の落人や亡霊ネタなんて下関や四国どころか、全国あちこちにありますし。
しかしそうして平家を打ち負かした源義経も、結果的に兄貴をブチ切れさせてしまい、ろくな死に方していないというのもなんだか救えない話です。だから義経も「悲劇のヒーロー」として人気あるんでしょうけどね。
高塔山公園
そして下関から高速に乗り、関門大橋を通って九州へ。私が九州へ来るのは、10年以上前に九州をぐるっと一周して以来。そしてまず足を運んでみたのは、北九州市の高塔山公園。標高124mの高塔山山頂にある公園で、工業地帯も含めて北九州を一望できます。山頂まではクルマで上れるのでラク。道狭いですけど。
このときかなり曇っていたんですけど、古い工業地帯の雰囲気とはなんかマッチしているよーな気も。同行の荒川氏はなにやら工業地帯に興味津々だったようですが、こいつ工場萌えの素養があったのか。
門司駅
その後、荒川氏が今度は一転して「門司駅のレトロな町並みを見に逝こうじゃないか」と言い出したので、そんなレトロな町並みの存在すら知らんかった私は承諾し、門司駅へと。
しかし、確かに古い煉瓦造りの建物はいくつかあるんですが、特に他に見るべきモノが無い。とりあえず、煉瓦造りの倉庫を改装したレストランがあったので、そこでメシを食いつつ、荒川氏が情報検索。
そしてレトロな町並みで有名なのは「門司駅」ではなく「門司港駅」だというコトが判明。なんというポカミス。ならさっさと移動しようと思いつつも、このレストランがまたバイキング方式だったりするものだから、食い過ぎてエキゾースト系のトラブルによる緊急ピットイン(つまり腹壊してトイレ)を余儀なくされ、しばしのタイムロスを強いられたのはまた別の話です。
続く。