大須は萌えているか?

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自宅警備隊西へ その7 太宰府~博多編

※画像多め。記事タイトルに意味はありません。

この記事は、「自宅警備隊西へ その6 門司港レトロ~犬鳴峠編」の続きです。

太宰府天満宮

犬鳴峠では残念ながら心霊にもヤンキーにも出会えなかった我々は、そのまま峠を下り太宰府天満宮へ。一度も来たこと無かったんで、ここも立ち寄っておきたかった場所です。

太宰府天満宮というと、京都でブリバリ頑張ってた菅原道真が、政治的対立によりハメられて太宰府に左遷させられたと思ったらわずか二年で非業の死を遂げてしまい、そのあと京都で天変地異が相次いじゃったもんだから、「やべぇwww道真の祟りパネェwwww」というコトで、道真の墓の上に造営されたもの。怨霊だの心霊だのに大騒ぎしてしまうのは今も昔も変わらない感じでしょうか。

とはいえ、道真の政敵であった藤原時平も道真の死後6年くらいで早世してしまい、朝廷も「左遷したのは正直スマンかった」とこれを撤回し道真の名誉回復に努め、いつの間にか怨霊ではなく学問の神様になっていたという話。今の感覚からすると、そんなにビビるなんてどんだけ心にやましいところがあったんだお前ら、って気もしますが、怨霊というものがかなりガチで信じられていた時代だけに、それもしゃーなしでしょうか。

……と、そんなコトを考えたり考えなかったりしていたら、結構な雨が降ってきてしまったので、門前町のお店で一休み。ここいらでは「梅ヶ枝餅」というお菓子が名物みたいですね。

伊勢の赤福と違って、どのお店でも梅ヶ枝餅を売っているものだから、どこが元祖なんだかよくわかりませんが。道真は太宰府に赴く前に「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」と詠んだとされてますが、その梅に引っかけてるのかな。

それから衝撃的だったのが、門前町にあったスタバ。いやそもそもこんなとこにスタバあんのかよ、っていうのもあるんですが、しかしその店構えがなんというか「和風カッチョいい」のです。↓こんなん。

ぱっと見なんじゃこりゃ、とも思うんですが、不思議と門前町の中に馴染んでいる感じでした。門前町って年寄り客が多そうなイメージですが、天満宮に祀られてるのは学問の神様、ってことは学生の参拝も多いだろうし、スタバのニーズも高いのかも。

太宰府政庁跡

太宰府天満宮を見た後は、ついでにお役所としての太宰府があった場所にも寄ってみるコトに。今や「太宰府」というとそのまま天満宮を指す勢いですが、もともとはこっちが元祖(?)というコトで。天満宮からはクルマで10分も掛からない距離です。

天満宮の賑わいがウソのような静寂さ。まー、こうして見るとただの草むらだしなぁ……。しかし、その遺構の跡からうかがえるスケールはかなりのもので、草むらの真ん中で「『遠の朝廷(アナザー・ガヴァメント)』の二つ名も伊達では無いというコトか……クックック」などと呟いていたことは秘密です。

博多駅

その後、ホテルを予約してあった博多駅近辺へ。ホテルに荷物を置いたあと博多駅に行ってみたんですが、やべえ博多って超でかい。ていうか、なんで博多なのにでっかく「阪急」なんて書かれてんの、と思ったら阪急百貨店が入ってるんですね。

ほいでもって、駅の看板に「海洋堂 おまけフィギュア展」なんて書かれているもんだから、そのまま見物に。

海洋堂の扱うジャンルの多彩さはホント驚かされるんですが、タカアシガニのフィギュアとか、持ってたら飾る場所に悩みますよねきっと。

フィギュアを堪能したあとは、地下鉄に乗り天神へ。屋台でメシを食うためです。昔九州に来たときにも屋台でメシを食べた記憶があるんですが、そのときよりも屋台の数減ってる?

地下鉄で来たのは、もちろん遠慮なく酒を飲むため。ふだん屋台でメシを食うなんて機会がまったく無いので、なんだか新鮮な感じ。東京だと屋台ってまだあるんですかね。

一度でいいから、神田か有楽町あたりのガード下の屋台でグデングデンに酔いながら「課長のバカヤロー」とかくだまいて、屋台のオヤジに「お客さん、そろそろ止めといたほうがいいですぜ」とか言われてみたいんですが。

ちなみに、帰りは酔い覚ましも兼ねて博多駅近くのホテルまで歩いて帰りました。

続く。次でようやく終わり。